競艇界におけるレジェンドレーサーの位置づけとレジェンドレーサー5選
競艇ではレジェンドと呼ばれるにふさわしい選手がたくさん存在しています。
レジェンドと呼ばれる選手には強さ、異名、テクニック、エピソードなどが存在します。
この記事では筆者が選んだレジェンドレーサーと呼ばれるにふさわしい選手を5人紹介させていただきます。
この記事を読んで自分だけのお気に入りのレジェンドレーサーを見つけましょう。
目次
競艇界にはレジェンドが多すぎる
世の中にはいろいろな業界があり、その中でもスポーツの中ではレジェンド、偉業や伝説を果たした選手というものがいます。
もちろん競艇にもそういったレジェンドなレーサーがいるのですが、競艇のレースは毎日行われているので他の種目と比べてレジェンドと呼べるレーサーが多いのです。
競艇好きな人に貴方が考えるレジェンドレーサーは?と質問すれば、それぞれ違った答えが返ってくるでしょう。
強いだけでもレジェンドと呼ばれる資格は十分あるぞ!
競艇で見るレジェンドの条件
競艇では365日毎日レースが行われ、3~7日間で予選から優勝戦までを行うので1週間以内に優勝経験者が最低でも1人は出る計算になります。
しかも、競艇場は全国に24箇所も存在し、それぞれがスケジュールをずらしながらレースを開催するので毎日のように優勝者が出現しているのです。
そんな競艇ですから通算優勝回数や特別なレースでの優勝数、通算勝率などレジェンドとしてみるべき項目で多数の選手が入り乱れる結果となります。
レジェンドは時代を変えるテクニックや異名を持つ
1952年から70年以上も続いている競艇は日本発祥の公営競技で、そのためにいろいろな変遷が起こっています。
- 1961年フライングスタート方式の確立
- 1966年テレビ放映開始
- 1985年電話投票の受付開始
- 1988年グレード制と持ちペラ制の導入
- 1997年ナイターレースの開催
- 2000年3連単の導入
- 2001年ネット投票の開始
- 2012年新プロペラ制度の導入
このように変遷を繰り返している競艇界ですが、テクニックでは「モンキーターン」や「全速ターン」といったものが開発されています。
また、持ちペラ制が導入された際には選手同士が集まってプロペラの調整方法を模索する「ペラグループ」が生まれたりもしました。
そして、選手達にはプライベートや競艇場での振る舞い、その強さから様々な異名がつけられています。
競艇は日本発祥の公営競技だぞ
戦績・エピソードから選んだレジェンドレーサー5選
ここからは戦績や選手時代のエピソード、引退後の偉業などから筆者が選んだレジェンドレーサーを5人紹介していきたいと思います。
どの選手も伝説級の偉業を成し遂げた選手で、競艇好きな人にはまさにレジェンドだと思っていただけるでしょう。
平成の不死鳥、植木通彦選手
1人目は「不死鳥」の異名を持つボートレーサー、植木通彦選手です。
植木選手は記念優勝回数33回、選手生活3年目に全治5ヶ月の大怪我をレース中に負うも半年後にレースに復帰。
復帰レースではほとんどのレーサーが負傷した競艇場を避ける中、あえて復帰戦の場を事故が起きた桐生競艇場に選び「不死鳥」と呼ばれるようになりました。
- 登録番号:3285号
- 生年月日:1968年4月26日
- 身長:165cm
- 体重:51kg
- 所属:福岡支部
- 登録期:59期
- デビュー日:1986年11月21日
- 選手引退日:2007年7月18日
- SG優勝回数:10回
- G1/PG1優勝回数:23回
- 通算優勝:74回
- 通算勝率:7.58
- 通算勝利:1562勝
植木選手は2007年のSG第42回総理大臣杯の優勝戦にてフライングをしてしまいました。
売り上げの9割以上にあたる17億4522万7700円という東日本の競艇場では最高額となる返還金を発生させてしまう結果となります。
このレースでのフライング休みが明けた2009年7月18日の「うずしお選抜戦」でのレースを最後に現役を引退してしまいます。
引退後は競艇選手育成機関のやまと学校で尽力し、現在は「BOAT RACE振興会」のボートレースアンバサダーとして競艇にかかわり続けています。
引退後も若手の育成に尽力する、選手の鑑だな
全速ターンの第一人者、今村豊選手
2人目は「今村以前と以後では競艇が変わった」と称される今村豊選手です。
今村選手は記念優勝回数55回、本栖訓練所時代は「本栖の転覆王」と呼ばれるほどに訓練生時代から「全速ターン」の練習を重ねてきました。
特定疾患のメニエール病に悩まされながらも39年も現役生活を続け、デビュー以降、一度もA2級やB級に陥落することがなかったという伝説を残しています。
- 登録番号:2992号
- 生年月日:1961年6月22日
- 身長:162cm
- 体重:50kg
- 所属:山口支部
- 登録期:48期
- デビュー日:1981年5月7日
- 選手引退日:2020年10月8日
- SG優勝回数:7回
- G1/PG1優勝回数:48回
- 通算優勝:142回
- 通算勝率:7.76
- 通算勝利:2880勝
今村選手は現役引退後、JLCレジャーチャンネルのyoutubeレース配信などで解説者を務めています。
また、趣味はゴルフで植木通彦選手が「今村さんのゴルフの指導は本栖(訓練所)の教官よりも厳しい(苦笑)」と漏らすほどだとか。
全速ターンが見られるのは今村選手がいたからこそだな
SG最多優勝のモンスター、野中和夫選手
3人目は1995年に当時6つあったSG競争を全て制覇し、翌96年には新設されたSG・オーシャンズカップ競争も制し7冠グランドスラマーとなった野中和夫選手です。
野中選手は記念優勝回数56回、期間最高勝率9.53やSG競争の制覇記録17など数多くの記録を持ち「モンスター」と呼ばれています。
- 登録番号:2291号
- 生年月日:1944年1月1日
- 身長:159cm
- 体重:55kg
- 所属:大阪支部
- 登録期:27期
- デビュー日:1969年3月24日
- 選手引退日:2009年12月10日
- SG優勝回数:17回
- G1/PG1優勝回数:39回
- 通算優勝:132回
- 通算勝率:7.50
- 通算勝利:2574勝
野中選手は漫才師の故・横山やすしとは中学校時代の同級生で大の親友。
二人で銀座や新宿などで酒を大量に飲む姿も、「モンスター」と呼ばれている所以だとか。
グランドスラムを取るのは並大抵のことじゃないぞ
問題はあれど艇王の異名を取った、彦坂郁雄選手
4人目は現役時代に「艇王」の異名を持ち、数々の伝説的記録を打ち立てた彦坂郁雄選手です。
彦坂選手は記念優勝回数77回、期勝率第1位回数、連勝数、特別優勝回数など様々な記録を樹立しています。
- 登録番号:1515号
- 生年月日:1941年1月5日
- 所属:東京支部
- デビュー日:1959年12月24日
- 選手引退日:1988年9月
- SG優勝回数:10回
- G1/PG1優勝回数:67回
彦坂選手は1988年9月4日に部品持ち込みを行ったことによる整備規程違反が発覚し、1年間の出場停止処分を受けました。
彦坂選手は持ち込み自体は認めてもレースには使用していないと弁明しましたが、同年9月に引退しました。
なお、同時期に数人の選手が引退しており、同様の行為が行われていたのではないかという噂も流れています。
のちに、艇王は植木通彦選手を指す愛称となりました。
不祥事があってもその強さをたたえる人は多いぞ
生涯獲得賞金30億円突破の絶対王者、松井繁選手
5人目は2023年現在も現役の近畿地区の絶対的エース、「絶対王者」の異名を持つ松井繁選手です。
松井選手は記念優勝回数69回、公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円突破という偉業を成し遂げています。
- 登録番号:3415号
- 生年月日:1969年11月11日
- 身長:169cm
- 体重:50kg
- 所属:大阪支部
- 登録期:64期
- デビュー日:1989年5月13日
- SG優勝回数:12回
- G1/PG1優勝回数:57回
- 通算優勝:117回
- 通算勝率:7.82
- 通算勝利:1986勝
松井選手の素晴らしいところは、未だに現役であるということ。
通算優勝回数や通算勝率、通算勝利回数などまだまだ記録を伸ばしてくれそうなところに期待が持てます。
また、生涯獲得賞金額を引退する日までにどこまで伸ばせるかにも注目したいです。
未だ現役、最高に渋くてかっこいい選手だな
まとめ:自分だけのレジェンドレーサーを見つけてみよう
このように競艇界にはレジェンドと呼ばれる選手がたくさん存在します。
この5人の他にもモンキーターンを始めた飯田加一選手や7節連続優勝記録を持つ前本泰和選手などレジェンドと呼ばれるにふさわしい選手はいます。
その中から、自分のお気に入りのレジェンドレーサーを見つけるのも楽しいかもしれません。
- ローレル
- 子供のころから大の車好きで、オートレースをやっていたが競艇の的中率を知って競艇に興味が出る。
夢は万舟券をたくさん当てて国産スポーツカーを買うこと。