得意技は「原ダンプ!?」最年少マスターズチャンピオン原田幸哉選手の素顔と強さをまとめました。
早いスタートと攻めるターンで波乱を呼ぶ男・原田幸哉選手。
原田選手といえば豪快なダンプが印象的。
他にも得意の捲り差しで舟券に絡む印象があります。
そんな原田幸哉選手の過去の戦績や主なレースを振り返り、舟券予想の参考にしていただけたらと思います。
目次
原田幸哉選手のプロフィール
- 登録番号:3779
- 生年月日:1975/10/24
- 身長:172cm
- 体重:52kg
- 血液型:B型
- 支部:長崎
- 登録期:76期
- 級別:A1級
- 弟子:柳沢一・横家翔一・後藤陽介
原田幸哉選手のTwitterはコチラ↓
主な戦績
- デビュー戦 1989年6月蒲郡競艇場
- 初優勝(一般)1996年10月 三国競艇場
- G1初優勝 2000年1月30日 新鋭王座決定戦(びわこ)
- SG初優勝 2002年11月4日 全日本選手権(平和島)
その他主なSG戦績
- 2004年6月 第14回グランドチャンピオン
- 2009年11月 第12回チャレンジカップ
- 2021年8月 第67回ボートレースメモリアル
デビューからこれまでの主な戦績と記録
激しいレーススタイルから事故も多いですが波乱を期待して注目される原田幸哉選手。
SG優勝は4回、G1優勝は18回というトップクラスの成績です。
グレード | 勝率 | 1着率 | 2連対率 | 3連対率 | 優出 | 優勝 |
---|---|---|---|---|---|---|
SG | 7.60 | 21.6% | 37.3% | 52.7% | 17 | 4 |
G1 | 6.90 | 26.4% | 43.1% | 58.4% | 62 | 18 |
G2 | 7.72 | 31.0% | 53.1% | 70.8% | 5 | 0 |
G3 | 7.40 | 42.8% | 62.3% | 78.5% | 13 | 3 |
一般 | 8.02 | 52.8% | 72.1% | 83.9% | 150 | 64 |
総合 | 7.45 | 35.3% | 53.0% | 67.2% | 247 | 89 |
ボートレーサーになるために異色の海上自衛隊入り
原田幸哉選手は小さいころから父に連れられて地元の蒲郡競艇場に通っているうちにボートレーサーに憧れるようになります。
中学卒業後にはボートレーサーになることを決意。
訓練所に入所前に、海上自衛隊に準備期間として入隊して1994年に退職後、訓練生になるという珍しい経歴です。
しっかりと準備期間を取った原田幸哉訓練生は、リーグ戦成績6.64、優出2回という成績で卒業しました。
同期には今でもSGなどで活躍している瓜生正義選手、魚谷智之選手、女子最強レーサーと言われていた横西奏恵選手がいます。
1995年6月蒲郡競艇場でデビュー戦を迎え、初出走初勝利という素晴らしいデビューを飾ります。
デビュー戦から勝利を飾る選手はあまり見ないので、原田幸哉選手の能力の高さが窺えますね。
デビューから2年で優勝5回!最優秀新人賞に選ばれる
デビュー戦で水神祭という驚きの実力を見せた原田幸哉選手。
翌年の1996年7月には三国競艇場で開催された一般戦で早くも初優勝を飾ります。
さらに実力を発揮し、1997年には「年間優勝5回」と破竹の勢いで勝利を重ねていきます。
中でも8月に下関競艇場で開催された「新鋭リーグ戦」は、GⅢというグレードレースでの初優勝を飾ります。
節間成績「15111142」という好成績で予選は堂々の2位通過。
準優勝戦もしっかり逃げ切って優勝戦の2号艇を勝ち取ります。
6号艇福田雅一選手の前付けで3コースとなった原田幸哉選手、スタートを0.04としっかり決め見事に捲って優勝します。
節間の成績が素晴らしかった6名で競われる優勝戦ですが、その中でも原田幸哉選手はぶっちぎりのレースタイムで優勝します。
原田幸哉選手が1.47.2で1着。
2着の桂林寛選手が1.50.2と3秒も差をつけていることから、いかに原田選手のタイムが早いかがわかります。
当時、一人で走れば1.2を争うスピードのある選手と言われていたのはこういった記録に表われていたと思います。
このような活躍をみせた原田幸哉選手は、同期の瓜生正義選手よりも1年早く、最優秀新人賞に選ばれます。
2002年大躍進でトップレーサーの仲間入り
毎年着実に成績を残してきた原田幸哉選手ですが、2002年は特別な年になります。
1月に常滑競艇場で開催された一般戦では、自身初となる完全優勝を達成すると、その後も勢いは止まりません。
- 3月 鳴門競艇場一般戦 優勝 1コースから逃げ
- 4月 浜名湖競艇場一般戦 優勝 1コースから逃げ
- 4月 下関競艇場一般戦 優勝 3コースから捲り
- 5月 蒲郡競艇場一般戦 優勝 3コースから差し
- 10月 宮島競艇場一般戦 優勝 3コースから捲り差し
場やコース、決まり手も多彩で、どこからでも勝てる無双状態で、11月のSG全日本選手権を迎えます。
初日6コースから大捲りを決めて1着発進すると「13432」と順調に予選突破を果たします。
準優勝戦は4コースとなりましたが、先頭で飛び出した3号艇滝沢芳行選手がフライングとなり、追走していた原田幸哉選手が1着となり、優勝戦の1号艇を獲得します。
勝てばSG初優勝となる優勝戦。
優勝戦のメンバーは
- 1号艇 原田幸哉
- 2号艇 仲口博崇
- 3号艇 白井英治
- 4号艇 西田靖
- 5号艇 植木通彦
- 6号艇 池田浩二
風速6mの向かい風の中、0.15でトップスタートを決めると、そのまま押し切って、デビュー7年目にして念願のSG初優勝となります。
「連続」完全優勝を成し遂げ、19連勝という記録を樹立
節間全て1着を取るというのは、大変至難であることは説明する必要が無いと思います。
ボートレーサーが生涯で1度も達成しないまま引退した選手もいる中で、原田幸哉選手は「連続」で完全優勝の偉業を成し遂げています。
2006年9月常滑競艇場の一般戦では9走全勝、同じく2006年9月びわこ競艇場の一般戦では10走全勝と、19連勝という圧倒的な強さをみせて完全優勝を果たしました。
完全優勝の記録は赤岩善生選手の10回が1位で、原田幸哉選手は第5位の6回となっています。
60歳で引退、沖縄で悠々自適生活
原田幸哉選手の地元は前述した通り愛知県です。
しかし現在は愛知支部ではなく、長崎支部に移籍しています。
その理由は、沖縄への移住と結婚と言われています。
移住についてはインタビューで、競艇場もチケットショップもない沖縄で、沖縄に住んでいる原田幸哉選手が活躍することで、ボートレーサーを目指す子供たちが増えてほしいと話していました。
沖縄にはご両親もご一緒に移住されており、ボートレーサーを引退後も永住するというのは本当かもしれません。
支部については、沖縄に移住後もしばらくは愛知支部にいましたが、結婚を機に「奥様の出身地が長崎である」ことから移籍をしたとされています。
愛知支部での人間関係悪化などの噂もありましたが、池田浩二選手はビールかけをやるために100本買って遊びにきたり、弟子の柳沢一選手など、沖縄の自宅に遊びにきているそうですので、結婚が移籍の理由であることが大きいのかもしれません。
インタビューの中で、60歳まではレーサーを続けたいと公言しており、その後は沖縄の海を眺めながら悠悠自適な生活をしたいそうです。
それにしても豪邸ですよね…。
「A1級になれれば、こういう家に住めるんだ!」と若手のモチベーションの向上に繋がっているかもしれません。
以下の動画では原田幸哉選手自ら自宅を紹介しています。
ダンプの達人の得意技
原田幸哉選手と言えばダンプですよね。
昔からのボートレースファンなら何度見たことがある映像かもしれませんが、特にこのダンプは強烈です。
進入については、基本的には枠なりですが、6号艇の時は前付けを行うことが多くなりました。
次に持ち味の1つであるスタートですが
- 1コース 0.10
- 2コース 0.13
- 3コース 0.11
- 4コース 0.10
- 5コース 0.10
- 6コース 0.11
こうして見ると、2コースが少し苦手に感じてしまいますが、全てのコースにおいて、平均的なスタートよりも早くなっていますので、原田幸哉選手にとってスタートは1つの武器になるといってよいと思います。
続いて、決まり手については、ターン力の高い原田幸哉選手の魅力はなんといっても捲り差しです。
トップスタートから一気に捲りというのも魅力ですが、ご本人が言うように、3・5コースからの捲り差しを決めて勝つのが好きとのことですので、奇数艇にいるときの原田幸哉選手は買いだと思います。
- こうだ
- 競艇も好きだが、ボートレーサーも好き。
ボートレーサーを軸に考えて勝負することもあります。
そういう時は大体負けてしまうのですが。
よい子はマネしないでください。