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競艇(ボートレース)の死亡事故まとめ!松本勝也選手や鈴木詔子選手など、映像付きで32名の殉職された方々を紹介。

競艇(ボートレース)の死亡事故まとめ!松本勝也選手や鈴木詔子選手など、映像付きで32名の殉職された方々を紹介。

ボートレースで殉職された方々の一覧をまとめました。

選手ごとのプロフィールや性格、戦績もいくつかピックアップして紹介します。

競艇の危険性を理解することで、ルールを守って正しく競艇を楽しんでいただきたいです。

目次

競艇での死亡事故の例はどのくらいある?

競艇では1952年に大村ボートレース場で初開催されて以来、訓練生も含め32件の死亡事故が起きています。

下記がその一覧です。

選手名 事故日 享年 競艇場
松本勝也 2020年2月9日 48 尼崎
鈴木詔子 2013年11月2日 52 下関
岩永高弘 2010年5月14日 36 若松
坂谷真史 2007年2月26日 26 住之江
中島康孝 2004年3月28日 26 尼崎
木村厚子 2003年5月25日 38
沢田菊司 1999年11月6日 48 平和島
伊藤公二 1998年3月23日 55 浜名湖
有吉貴之 1997年9月4日 27
水野定夫 1993年11月22日 48 江戸川
清水正博 1989年1月6日 23 桐生
宮本力 1985年1月3日 37 江戸川
安心院信行 1983年1月24日 30 三国
勝股勇 1982年1月23日 38 江戸川
花田龍美 1981年8月24日 34 大村
一瀬隆 1978年8月14日 27 大村
筒井博利 1977年9月30日 31 若松
池田博 1973年10月7日 52 多摩川
石塚一雄 1972年11月12日 23 平和島
蛇山清 1970年11月1日 23 鳴門
中村五喜 1968年10月14日 34 唐津
半田弘志 1968年5月14日 29 若松
中井紘司 1965年12月23日 24 芦屋
和泉定治 1965年3月23日 40 児島
川染一夫 1965年2月22日 35 若松
大西昭 1963年7月9日 31 徳島常滑
小笠原政敏 1962年7月25日 28 鳴門
中島常价 1962年1月6日 32 びわこ
大井手善信 1954年2月25日 20 唐津
横溝幸雄 1953年12月24日 34 唐津
西塔莞爾 1953年1月7日 29 児島

競艇は「水上の格闘技」と呼ばれるほど激しいスポーツです。

ここからは、死と隣り合わせの中で戦ってくれた選手の死亡事例をいくつか紹介します。

競艇選手は死のリスクもある中で俺たちを魅了してくれているんだな

松本勝也選手

松本勝也選手
松本勝也選手

2020年2月9日にボートレース尼崎の第9レースに6号艇で出走。

第1週2マークを旋回中に失速してしまい、後ろにいた5号邸の大平誉史選手の旋回に巻き込まれ、転覆しました。

心肺停止状態で兵庫県西宮市の大学病院に搬送されたものの、午後4時12分に死亡が確認されました。

当時48歳の大ベテランでした。

松本勝也(まつもとかつや)選手は1991年5月にデビューしたA1級の選手です。

  • 登録番号:3529
  • 身長:162cm
  • 血液型:O型
  • 期:68期生

兵庫県神戸市出身で、人望が厚く、「勝ちゃん」の愛称で親しまれていました。

主に以下のような戦績があります。

  • 出走回数:6838回
  • 1着回数:1798回
  • 優勝回数:42回
  • 通算勝率:6.83

2000年の下関競艇場・グランドチャンピオン決定戦競争でSGの初出場をするも、フライングとなってしまいました。

とはいえ、SG優出2回、GⅠ優出21回と輝かしい実績を残している選手です。

生涯の獲得賞金は9億7,566万2,472円です。

競艇界に激震が走る悲しいニュースになってしまったな…

鈴木詔子選手

鈴木詔子選手
鈴木詔子選手

2013年11月2日に下関ボートレース場にて事故が発生。

レース前の練習を行うために、スタート位置までボートを移動させている時に、いきなりボートが全速状態になってしまいコントロールができずに約150m先の岸壁に衝突しました。

関門医療センターに搬送されるも、午前11時9分に死亡が確認されました。

当時52歳でした。

鈴木詔子(すずきしょうこ)選手は1961年2月22日生まれのB1級の選手です。

  • 登録番号:2988
  • 身長:147cm
  • 血液型:A型
  • 期:48期生

東京都出身で出走回数は4,700回を超え、女子レーサーの育成にも力を入れていたベテラン選手でした。

主に以下のような戦績があります。

  • 出走回数:4752回
  • 1着回数:449回
  • 優勝回数:5回

実はレース中だけでなく、練習中にも事故も多いんだ

岩永高弘選手

2010年5月1日に若松ボートレース場の第1レースに4号艇で出走。

第2週2マークを旋回後の直線で、5号艇と接触してしまい転覆した際に、前方に体が投げ飛ばされ頭を強打しました。

心肺停止状態で福岡新水巻病院の集中治療室に搬送されたものの、5月14日午前6時4分に死亡が確認されました。

当時36歳でした。

岩永高弘(いわながたかひろ)選手は1996年11月にデビューした選手です。

  • 登録番号:3861
  • 身長:170cm
  • 血液型:AB型
  • 期:79期生

主に以下のような戦績があります。

  • 出走回数:2586回
  • 1着回数:271回
  • 優勝回数:1回
  • 通算勝率:4.68

生涯の獲得賞金は1億7,362万3,500円です。

坂谷真史選手

坂谷真史選手
坂谷真史選手

2007年2月26日に住之江ボートレース場の第50回住之江周年記念「太閤賞」の6日目第3レースに5号艇6コースで出走。

第2週1マークで2号艇の福島勇樹選手と2番手争いをしている最中に、6号艇の山田豊選手と接触し転覆しました。

その後、事故艇を回避する3号艇の位置にちょうど浮上してしまい巻き込まれました。

大阪市立総合医療センターの集中治療室に搬送されたものの、脳幹裂傷や頭蓋骨骨折の合併症により、午後12時54分に死亡が確認されました。

当時26歳でした。

坂谷真史(さかたにしんじ)選手は1999年11月に三国ボートレース場でデビューした選手です。

  • 登録番号:4048
  • 身長:166cm
  • 血液型:O型
  • 期:85期生

妻は佐々木裕美選手で、夫婦ともにボートレーサーでした。

主に以下のような戦績があります。

  • 出走回数:1376回
  • 1着回数:394回
  • 優勝回数:14回
  • 通算勝率:6.21

2003年1月に、新鋭王座決定戦競走にてGⅠに初出場し、2007年1月にはGⅠ全日本王者決定戦で優勝戦に出場し3着になったこともある若手の有望選手でした。

生涯の獲得賞金は1億5,810万7,620円です。

当時はかなり期待されていただけに非常に残念だ…

中島康孝選手

2004年3月28日に尼崎ボートレース場の夕刊フジオレンジカップ2004の5レース目に2号艇で出走。

第1週2マークで全速ターンでまくりを仕掛けるも、大きく外に膨らんでしまったところに後続艇と接触してしまい、そのまま消波装置に衝突しました。

その際にボートから投げ出され全身を強打し死亡しました。

当時25歳でした。

中島康孝(なかじまやすたか)選手は1999年11月に三国ボートレース場でデビューした選手です。

  • 登録番号:4029
  • 血液型:O型
  • 期:85期生

登録番号は4029、血液型O型、85期生です。

先ほど紹介した坂谷選手とは同期でした。

主に以下のような戦績があります。

  • 出走回数:857回
  • 1着回数:102回
  • 優勝回数:0回
  • 通算勝率:4.49

目立った活躍はまだ見られていませんでしたが、競艇の銀河系軍団の一人でもあり、今後が楽しみな選手でした。

85期の選手はサッカーのレアル・マドリードの愛称でもある「銀河系軍団」と呼ばれているんだ

木村厚子選手

木村厚子選手
木村厚子選手

2003年5月24日に津ボートレース場の第7レースで1号艇として出走。

第1週2マークで先頭で旋回するも、振込み失速してしまい、後続艇がそれを回避できず乗り上げるように接触しました。

その際に落水し、三重大学医学部附属病院の集中治療室に搬送されるも、同年5月25日頸髄損傷、脳挫傷による死亡が確認されました。

当時38歳でした。

木村厚子(きむらあつこ)選手は1985年5月に戸田ボートレース場でデビューした選手です。

  • 登録番号:3196
  • 血液型:O型
  • 期:56期生

美人レーサーとして「競艇界のニューアイドル」と呼ばれたり、CMに出演するなど競艇のイメージアップにも寄与しました。

主に以下のような戦績があります。

  • 出走回数:2028回
  • 1着回数:254回
  • 優勝回数:1回
  • 通算勝率:5.15

1988年にはA級に昇格し、1990年の一般競走で初優勝しました。

生涯獲得賞金は1億5,804万6,932円です。

レース以外の場面でも競艇界の盛り上げに貢献してくれた選手だな

沢田菊司選手

1999年11月6日に平和島ボートレース場のレースに出走。

走行中に先行艇が減速したところに正面から激突し、さらに後続艇が挟む形で接触。

病院に搬送されるも胸腔内出血による死亡が確認されました。

当時48歳の時でした。

沢田菊司(さわだきくじ)選手は愛知県出身のレーサーです。

  • 登録番号:2546
  • 身長:162cm
  • 血液型:O型
  • 期:32期生

沢田選手はボートのプロペラが持ち込み制だったときに、プロペラ部分を大型化する改良を行い「元祖デカペラ」と呼ばれファンの間にも親しまれていました。

水野定夫選手

水野定夫選手
水野定夫選手

1993年11月22日に江戸川ボートレース場の6レースに出走。

第1週2マークで他艇と接触し転覆したところに、後続艇が乗り上げ、その際にプロペラの直撃を受けてしまい、背中に深さ4cm幅20cmの怪我を負いました。

病院に搬送されるも出血多量による死亡が確認されました。

当時48歳でした。

水野定夫(みずのさだお)選手は1963年にデビューした選手です。

  • 登録番号:1822
  • 期:15期生

登録番号1822、15期生です。

主に以下のような戦績があります。

  • 出走回数:6322回
  • 1着回数:940回
  • 優勝回数:5回

選手生活30年の大ベテランであり、息子の水野暁広さんも競艇選手です。

生涯獲得賞金は2億4,180万6,768円です。

宮本力 選手

1985年1月3日江戸川ボートレース場。

スタート練習中に事故を起こしてしまい亡くなりました。

当時37歳でした。

蛇山清 選手

1970年11月1日鳴門ボートレース場。

試運転中に救助艇に激突して亡くなりました。

当時23歳でした。

川添一夫 選手

1965年2月22日若松ボートレース場。

展示航走中に失神してしまい、そのまま事故が起きてしまい亡くなられました。

当時35歳でした。

中島常价 選手

1962年1月6日琵琶湖ボートレース場。

第2ターンマークを旋回した際にやや大回りになってしまい、他艇と一緒に外に流され、そのまま消波装置に衝突してしまい亡くなくなられました。

当時32歳でした。

横溝幸雄選手

幽霊ボート
幽霊ボート

1953年12月24日に唐津ボートレース場で試運転中の事故で死亡しました。

当時34歳でした。

この幽霊ボートというのは、カメラの仕組みに問題があって、黒いボートのような影が映ってしまったものですが、横溝選手の霊が現れたのではないかと話題になりました。

結局心霊写真ではなかったが、話題性のため事実はあまり公表されなかったらしいぞ

やまと学校訓練生

やまと学校訓練生
やまと学校訓練生

2016年5月19日やまと学校(ボートレーサー育成所)で起こった事故。

亡くなったのは19歳の女子訓練生でした。

訓練の一環である模擬レースの際に、先行艇が何らかの原因で失速してしまい、そこに衝突し、後続艇にも挟まれる形で接触し、ボートから投げ出されました。

その後、福岡県久留米市内の病院に搬送されるも、午後6時22分頸髄損傷による死亡が確認されました。

被害に遭われた方はTVのドキュメンタリー番組でも取り上げられていたこともあり、競艇ファンでない世間にも衝撃が広がりました。

まとめ:競艇選手は命をかけてレースに出場している!

いかがでしたか?

これまで、ボートレースでは訓練生も含め32名の方が亡くなっています。

事故の理由はさまざまで、レース中に他艇と接触したり、練習中の事故も多いことがわかりました。

レーサーは常に死の危険がありながらも、お客さんを楽しませるために全力で挑んでいます。

その面を理解した上で競艇を正しく楽しみましょう!

選手に罵声を浴びせるなんてもってのほかだぞ!ルールを守って楽しもう!

ふみきりくん
ふみきりくん
根は真面目でギャンブルなんてやったことない人生だったが、知り合いに競艇を勧められて一気にどハマりした。
一攫千金を夢見て、日々競艇を勉強する毎日!
今はもうお金しか見えていない。

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